Rönisch Pianos - About Rönisch 1845-1899

 

世紀を超えて受け継がれる名前

1845. 始まり


1845年の始めになると、カール レーニッシュは自分の工房でピアノの製作を始め、偉大なピアノレーニッシュが誕生した。その哲学は、堅牢で耐久性のある構造に因る上質な音である。

1857年にはザクセンで最初のベビーグランドピアノを製造。3台のグランドピアノをザクセン王の宮殿に届けた後、1859年に王室御用商人に指定される。

より大きな工房を求めて2度引っ越しを経て、1862年には小さい乍らも工場を設立、従業員も60名になる成長を遂げた。レーニッシュの名声も国境を超えて広がり、それにより新しい取引が始まる。主な市場は、ロシア、スウェーデン、イギリス、スペイン、ポルトガルであった。

1866年に、彼は鋳物のフル鉄骨をピアノに取り入れる画期的なアイデアを思いつく。フレームは5つの支柱を持ち、ピン板を完全に覆っており、初めて高い張力に耐え得るものであった。この革命的な発明は、すぐさま他の全てのピアノメーカーに事実上採用され、今日まで世界中のモダンピアノにパワーと遠くまで届く伸びやかな音質と響きをもたらしている。

成長を続けたレーニッシュは、更に大きな工場が必要とされるようになり、1873年にドレスデンのノイシュタットの新工場で製造を開始した。

ヨハン カール ゴットリーブ レーニッシュは、1814年11月28日、シレジアのゴールドベルクの貧しい家に生まれた。

10歳で機械工場の見習いとして働き始め、木工及び旋盤の技術を学ぶ。16歳から20歳の間、ライプチッヒの近くナウムベルクにあった、有名なピアノ製造会社ハナルでピアノ作りを学んだ。

1834年の後半になると、カール レーニッシュは、ゴールドベルクとオーストリアのウイーンの旋盤工場で、更なる経験と知識を積む。

1843年29歳になった彼はザクセンのルーバウのピアノ会社に雇われ、ピアノ業界に戻る。その後首都のドレスデンに移り、ローゼン クランツ ピアノ社の職長となる。

カール レーニッシュは、製造業者としてドイツから初めて外国に輸出をした一人であった。レーニッシュピアノは、南アフリカ、カリフォルニア、メキシコ、オーストラリア、東インド諸島、そして全ての英国領で高い評価を得た。1879年シドニー、1883年のアムステルダムの万博では、共にゴールドメダルを受賞する。

さらに、1888年メルボルン万博で、卓越したグランドピアノで最優秀賞を得る。今日もこの製造番号8461のピアノはキャンベラの国立大学で見ることができる。オーストラリアに於ける音楽の歴史の一部として、音楽学部の鍵盤楽器のコレクションの中核なすものである。

1884年、カール レーニッシュは王室通商議員に指名され、1890年にはスウェーデンとノルウエーの王室御用達になる。

カール レーニッシュは、1894年に80歳で没する。 この時までに、彼の工場では年間1500台のピアノが製造され、250名の従業員を抱えるようになっていた。会社の経営は息子達に引き継がれ、アルバートは経営を、ハーマンが製造を責任担当した。

1893年シカゴ万博で、 1900年パリ万博で、レーニッシュは再び金賞を獲得する。1898年に息子達は年間1000台の製造力を持つ支店工場をロシアのサンクトペテルブルクに設立していた。

› さらに詳しく